私たちの取り組み

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カンボジア支援活動

発展途上国を支援する活動を本気で行っております

生まれながら、すぐそばに在った戦争の爪痕
岡山県倉敷市の天領建機商事では、売り上げの一部を発展途上国への支援として寄付しています。ただ寄付するのではなく、直接現地に赴き、経済の発展をサポートしていくことが弊社の目標です。現在はカンボジアを中心に支援活動を行なっています。
  
私たちのプロジェクト「発展途上国支援」


アンコールワットの夜明け



初めに

ここに記載されているストーリーは、私、天領建機商事代表、髙下淳志が体験し感じた事を元に記載しています。現在行っているカンボジア支援のきっかけから、会社を経営して現在の支援活動に至るまでの体験を綴っております。

あの暑い野原のまんなかで、
いまも毎日はたらいている

あのイーハトーヴォの岩礁の多い奇麗きれいな海岸へ行って今ごろありもしない卵をさがせというのはこれは慰労いろう休暇のつもりなのだ。それほどわたくしが所長にもみんなにも働いていると思われていたのか、ありがたいありがたいと心の中で雀躍じゃくやくしました。

叮嚀ていねいに礼をして室を出ました。それからその辞令をみんなに一人ずつ見せて挨拶してあるき、おしまいに会計に行きましたら、会計の老人はちょっと渋い顔付きはしていましたが、だまってわたくしの印を受け取って大きな紙幣を八枚も渡してくれました。ほかに役所の大きな写真器械や双眼鏡も借りました。

あのイーハトーヴォの岩礁の多い奇麗きれいな海岸へ行って今ごろありもしない卵をさがせというのはこれは慰労いろう休暇のつもりなのだ。

きっかけはTVの
ドキュメンタリー番組

私が高校生のころ、あるテレビ番組でドキュメンタリーが放送されていました。それは東大阪にある鉄工所の社長さんが、周囲の反対を押し切って地雷撤去装置を重機の先端に取り付けた重機を製作、単身カンボジアに行き地雷を撤去している映像。そこで、対人地雷によって膝から下が失ってしまった子供たちの姿が映し出されたのです。 そのとき私は「自分はこれから社会に出てどんな大人になるんだろう。お金を稼ぐこと、働くこととはどういうことなんだろう。」と考えていました。 まだ社会経験のない立場ながら「先人たちの残した負の遺産によって、今を生きる人間が不利益を受けるのはおかしい。かといって、未来の子供たちに負の遺産を受け継がせるのは、もっとダメなことだ。いつか社長になって、大金持ちになって恵まれない人たちに寄付をしよう。 建設機械を作って地雷を撤去していた鉄工所のおっちゃんのように、かっこいい大人になりたい!」そう思いながら涙を流したことをを覚えています。そうして、いろんな人に支えられながら建設機械メーカーに就職しました。それが現在、私たちがやっている活動の根幹にある想いです。

カンボジアの地雷除去の
現実_1

強烈な思いに駆られた私が、実際に現地に出向いてボランティア活動をしながら見た現実は、日本で想像していたよりも遥かに厳しい状況でした。当時は600万個の対人地雷や対戦車地雷が埋められ、不発弾も無数に存在。世界にはアフガニスタンや多くの国々に、1億個とも言われる負の遺産が残っています。日本からも、コマツや日立建機が地雷除去機械や灌木除去機械を開発し、JICAやNGO団体を通じて地雷を撤去し、学校を建設し、道路を作るなどして社会貢献しています。

カンボジアの地雷除去の
現実_2

NGOの中には自衛隊でPKOを経験した人たちもおり、現地の人たちと共に戦い続けている最中です。日本以外にも、アメリカやヨーロッパなどから同じように援助資金が投入され、戦争の負の遺産を世の中からなくしていく運動が積極的に行なわれています。 しかしながら現地にはSMACという政府の機関があり、地雷撤去の際には、その機関に撤去してもらわなければならないというのが現状です。

想いを秘めたままの
10数年間

就職したばかりの私は「社長になるんだ、建設機械をつくるんだ」と息巻いていたものの、程なくして上司から言葉を潰され、想いを人に言えない状況になります。それでもメーカーの技術者として、エンジン・電気・油圧・機械構造等の知識を得るべく、実務と共に技術関係の資格を取得しながら少しずつ実力を磨いていきました。この頃、海外に目を向けると中国が経済発展途上。建設機械が大量に輸出され、機械ブローカーの人たちも買い付けに来ており、私は貿易に興味を持つようになりました。この時期は「仕事を通して世の中に貢献したい。自分の行動1つひとつが少しでも社会の役に立ったらうれしい」との想いが再燃してきた時期でもあります。そんな中、稲盛和夫さんという素晴らしい経営者の著書に「利他の心」という言葉を見つけました。その言葉に心を打たれた私は、この仕事に人生を賭けたいと考え、想いを遂げるため自分の会社をつくり、建設機械を中心とした販売・リース・整備の事業を行なっていくこととなります。

想いが再燃したきっかけ_1

大きなきっかけとなったのは、一般社団法人GCUの中村理事長との出会いです。中村さんは自身の会社だけでカンボジアに何個もの井戸をつくり、現地のNGOとともに孤児院の子供たちや女性たちの就労支援を行ない、建設業組合をつくり、同じ想いを持った仲間とともに支援をしながら成長していく「前義後利」の考え方の持ち主でした。いざ自分を振り返ると、高校生時代の想いは影を潜め、日々事業に邁進する日々。そこで考えたのが「このままでは想いが遂げられない。 ただ、ちっぽけな自分では何もできない。ならば建設業の人たちに協力してもらおう。」ということです。建設業の問題点を解決すれば、一緒に社会貢献活動に協力してもらえる。大まかな方針が固まりました。

想いが再燃したきっかけ_2

職人不足が叫ばれている昨今、若者が働きたいと感じるような業界にしていかなくてはなりません。私は日本よりも進んでいる機械を使っている国(アメリカ・カナダ・ヨーロッパなど)から、オペレーション能力向上に役立つ機械を輸入し、職人技術をより向上させることで、満足できる収入を得られる、魅力的な業界にしたいと考えました。これから日本で起こるICT技術革命の波に乗り、スマートでかっこいい職場環境をつくることが目標です。さらに、新興国に先進国の技術や文化を伝えることで、じゅうぶんな教育を受ける経済力が身につき、最終的には新興国と日本、建設業界との架け橋にもなってくれます。
こんな想いから、私は再び、仕事を通して社会の役に立ちたいと強く考えるようになってきました。
この考えは建設業界のみならず、将来の人材を確保できない他産業にも当てはまるのではないでしょうか。

団体活動で念願の学校建設

GCUの活動の中で、カンボジアの小学校を建設しました。現地では初となる、1年生から6年生までの一貫教育を行う小学校です。生徒数は350名、この学校はカンボジア政府公認とされ、カンボジア王国の国営小学校に認定されました。日本の会社数十社でお金を募り、校舎・職員室・遊具・勉強道具・服などを用意。数名はカンボジアに出向き、開校式にも参列、テープカットをして子供たちの嬉しそうな笑顔を見ることができました。この笑顔こそが、私の働く原動力です。
もちろん、小学校だけで満足はできません。もっと上の教育を受けられる環境がいくつも必要ですし、
学校に通わせる親の経済力も豊かにしなくては、本当の意味で支援しているとはいえないと感じました。それと同時に、寄付のみでは経済の発展は望めず、自力で発展を遂げてもらうためのアイデアや商品、技術を、先進国を見ている私たちが伝え、実践してもらえるようにすることが必要だと気付かされたのです。

事業と社会貢献

私が現状考えている事業の流れは、建設業界と共に行なう社会貢献事業です。新興国にトラック・重機・農機・工作機械などを輸出することで、経済発展に寄与すること。利益の一部をカンボジアをはじめとする新興国の教育に使うため、地雷処理はもちろんのこと、小学校・中学校・高校・建設関連の専門学校の建設などを進めることが目標です。日本の教育を受け、職人技術を受け継いだ新興国の方には日本に来てもらい、日本産業の人材不足を解消すると共に、新興国との架け橋になってもらいます。

これからのこと

また、日本の職人に対しては、職人技術と機械オペレーション能力の向上による1人あたりの生産性を高め、収入を向上させることで、若者が働きたい業界にすることが目標です。オペレーション能力を高める機械は、アメリカ・カナダ・ヨーロッパといった国から、日本より進んでいる機械を輸入。新興国には、先進国からどこでもドアのように技術や文化を送り出し、学校に通える経済力を身につけてもらいたいと考えています。
このように、私たちが行なうのは将来的な業界の人材確保と、1人あたりの生産性を高め、新興国と建設業界の絆をつなぐ社会貢献事業です。その過程で、建設業界と建設機械業界が発展していき、新しい機械の導入が促され、その機械はいずれ中古機械となる。一連のサイクルのパイプは、より太く強固になります。
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